現在 316,200/1,000,000回。キリスト者として「あじまりかん」を続ける。
呪文は禁止だけど「あじまりかん」は特別。100万回後に何が起こるのか。
連日「聖書とフラットアース」関連記事ばかりだったので、たまには「あじまりかん」を。今回で4回目の検証報告です。
「あじまりかんを100万回唱えるぞ!」と密かにコツコツ、毎日地道に1,000回ずつ唱えています。なんだかんだで31万回突破。ここまでよく頑張ってきましたが、まだ目標の3分の1程度(笑)先は長い。来年辺りには達成したい。
そういえば「あじまりかん」って、結局は具体的にどんな意味があるのかな?と思って調べてみたら、まさかのキリスト・聖書へ繋がる言葉だと知りました。毎度おなじみ「あじまりかん友の会」に興味深い記事を見つけました。
キリスト者として「あじまりかん」が気になる。
あじまりかんを唱え始めた最初の頃は願望成就にしか興味なかったのですが、いまは「キリスト者」としてのあじまりかんの興味・世界観が気になっています。この世の名誉や富を得てもそれらは紙屑のよう。ちっぽけなモノより、神へ至る道の方がもっとずっと楽しい。今は心からそう思えます。
まさか答えが最初から手元にあったとは!「聖書の教えを知ったら”あじまりかん”なんて意味あるのかな?」と思っていた時期がありました。聖書の世界観が日本の成り立ちに繋がっているのですから、「あじまりかん」がキリスト教的世界観に繋がるのはごく自然なことです。
ちなみに、私はガチガチのフラットアーサーなので宇宙人や太陽神・龍神系は全く信じていません。スピリチュアル系なワクワク・フワフワ話はこれ以上要りません。
しかし「あじまりかん」はキリスト教の世界観・聖書と深いつながりがあるようです。そもそも聖書自体が日本(or日本人)について書かれているのですから、繋がって当然なのか?キリスト者として「あじまりかん」について追究したくなってきました。
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これまでの「あじまりかん」による生活の変化。
ようやく30万回を突破し、身の回りがかなり変わってきました。特に昨年。
2020年は聖書とフラットアースを知ったこと、聖書を買って没頭するように読み始めたこと、「キリスト者」としての学びを継続していること・・・人生を根底から変えるような出会いと信仰に目覚めました。人生の分岐点とも言える体験です。
おそらく「あじまりかん」が無ければ出会えなかったかも知れません。「あじまりかん」を唱え続けてきたからこそ、このような体験が与えられたのだと感じます。
今後40万回、50万回と回数を積み重ねたら生活や意識がどうなっていくのか楽しみです。あじまりかんに出会った当初謎の高熱が出たくらいですから、あじまりかんは意味のある出会いだったと思いたい(笑)
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「あじまりかん」に出会い、聖書に出会い、キリスト者として勉強を続けていることは偶然では無いと信じたいです。関係ないはずは無い!きっとなにかあるはずです(笑)
だから100万回を目指してみます。到達した先にどんな景色が待っているのか・・・。まだ先は長いので、毎日コツコツ頑張っていきます。夏ぐらいには50万回到達したいですね。
聖書に目覚め、「あじまりかん」の真の意味が知りたくなった。
結局、「あじまりかん」の意味ってなんなんだ?
「あじまりかん友の会」どころか、誰も知らないまま幾千年も経過して現在に至っているようです。歴史の長い言葉でありながら、その真髄は誰も知らない。不思議な言葉です。何かを表す言葉なのか、もしくは何かを発生させるのか。全くの謎。
最終的に「あじまりかん友の会」では、「神と人とが一つになり、神が人の中から顕現する時の霊の響き」ではないか?という見解に至りました。
言葉そのものの意味を知りたいですが、唱える過程のなかの神と人との繋がりや愛情の方が大事で、そこに日本人としての重大な意味、使命、職責があるのかも知れません。
聖書を知った「キリスト者」として「あじまりかん」の意味を考えたり、日本人の使命を確認する作業は非常に重大です。
神呪として長い歴史を誇っているのなら、単純な言葉の意味だけではない重大な要素が含まれているはずです。同じフラットアーサー系「あじまりかん」ユーザーがいれば、この気持ちが分かっていただけると思うんですけど・・・(笑)
キリスト者として「あじまりかん」が気になる。
天皇行のうちで、最も神秘なものとして、畏(おそ)れ崇(あが)められている言葉がある。それが『あじまりかん』という言葉である。その言葉は、肇国の太古から宮中にあって現在の念仏名号や、題目のように、唱名されて今日にいたっている。
鎌倉時代に勃興した日蓮や、法然、親鸞の念仏の唱名は、宮中に行なわせられる『あじまりかん』の唱名が、民間に洩れ、各宗が南無妙法蓮華経、また南無阿弥陀仏に転化させたものと思われる。
この『あじまりかん』は天皇を中心に、熱心に唱名され、天皇行のうち、自霊拝よりも、さらに重んじられ、尊敬された言葉であるという。
しかるに、不思議なことは、すでに幾千年もその歴史が経過しているのに、未だ誰人もその言葉の意味を解したものがないということである。わからぬままに幾干年の間、唱名の声たえまなく、今日まで『神のことば』として仰がれてきた。
近代になり、この言葉は梵語から転化したのではあるまいかと考え、学者に研究してもらったが、どうもそうではないらしい。その語源が何であるのか。一つの謎になっていたのである。
唱え続けることによって神への信仰が強化された事実。それだけでも「あじまりかん」をひたすら唱え続けてきた甲斐がありました。
引き寄せの法則や願望成就などの目先の欲望にとらわれないようになり、ひたすらキリスト者として歩む日々。こっち側の方が有意義で心が穏やかで、楽しい人生を送れるようになりました。
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【疑問】「あじまりかん」はキリスト者に何を語りかける?
日本人として、「キリスト者」として何をすべきなのでしょうか。
あじまりかんと聖書は無関係ではないはず。出会ったことも、唱えて続けてきたことも無駄ではないはずです。そして、日本人が覚醒するという時代の流れも、ただの陰謀論ではないはずです。
以下引用です。
日本の『くに』の負う使命は、個人救霊でなく、一国家、一民族を一単位の生命体にして、神に献身させ、霊なる神の『うつわ』にさせることである。
この使命の準備のために、今日まで三千年の歴史が、地上の球根のように培われて来ている。
球根であったから、これまでは世界の前に、あらわれなかったのである。天皇行が今日まで隠されていた理由がこのところにある。
すなわち知る。かつて神は、キリスト・イエスを十字架につけて、神の巨力誘導の源泉となさせられた。
日本という『くに』も、イエスにならって、『国家』が一人格となって、十字架を負う神の小羊になる『くに』であった。
日本(日本人)は世界平和と人類救済の為に鍛えに鍛えられ、今まで耐え忍んできた国。いまこそ「キリスト者」として目覚めなければならないということです。つまり、「一刻も早く聖書を読み始めて」(笑)まず初歩の初歩、基本中の基本はそこから始まります。
キリスト教や聖書はなんとなく「西洋風・白人圏の世界の話」のイメージがありますが、地理・情勢的にイエス・キリストは白人じゃない。そして聖書は日本人こそが読む重大な一冊。教科書のイメージに惑わされてはなりません。
最終的に言えるのは、この記事を読んで一人でも多くの人が聖書を手に取って読み始めてほしい(笑)当ブログは結局この終着点に辿り着きます。もうそれしかない。日本人こそ聖書。日本人こそ聖書。日本人こそ聖書!
【目標】2021年以内に50万回達成を目指す!
目先の願望成就のつもりでなんとなく唱え続けてきた「あじまりかん」が、まさかこんな場所に連れて行ってくれるとは。今やすっかりフラットアーサー・聖書愛読者です。
キリスト者としての学びを継続しつつ、更に聖書を読むことに没頭する。何と楽しい日々でしょうか。スピリチュアルや引き寄せの法則を追い続けていたら出会えませんでした。
このペースで行けば今年の夏~秋ぐらいには50万回辺りに到達するのでは?と思っています。遅くても今年中には50万回いってくれないと(笑)何が起こるのか、どんな価値観と出会うのかが楽しみです。2021年はまだ序盤戦。
目先の目標や欲望にとらわれるのは辞めて、「キリスト者」になる道を歩み始めました。過酷な道ですが、それ以上にやりがいを感じています。こうやって記事を投稿して発信することが誰かの為になると願って・・・!
ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!